Friday, July 07, 2006

RocketQueen HISTORY (TRUE) / "The Birth Of Stars"

自己紹介からしていきます。

僕は15歳ぐらいからBANDを始めましたが、
確か1989年だったかなって記憶してます。

友人から聖飢魔Ⅱを聴かされ衝撃?って訳ではなかったけど、それまで聴いていたBest Hit USAやMTV等の洋楽POP SONGとは一線を超えたものを「ROCK」というジャンルから感じ、ROCK BANDへと傾倒していく。
まぁ、手始めはホント「ジャパメタ」とか(笑)洋楽でもBON JOVIやらMETTALICAが出てきた80年代の末、日本でもインディーズが手に入りやすくなっていった状況下にイカ天やら、あのXとかの存在もかなりでかかった。山ほど出てきたBANDの中でも自分はD'ELANGERが特に好きで今でもメンバーを追いかけてるくらい(笑)その周りにいたBANDももちろん好きだったしね。ルーツ探って遡って色んなNEW WAVE PANKSなんかも聴いたり。みんなこの時から化粧して衣装きてステージ出てくのは日常で、当たり前だった。だから今でもTシャツ、ジーパンで出て行かないのはその理由からだと考えている。ステージに対する憧れというか、拘りというのは自分には特に格別なんだと思う。現実と夢の差のギリギリの差を行き来する自分という人間の別の人格がやはりここにいると感じている。

最初にGuitarを始めました。
それまで音楽のオの字も知らないガキが訳もわからずになんか楽しい~って。
カッコつけもたぶん今以上にあったかな。その時の憧れはエース清水なんだけどね(笑)

でも、やってく中で「プロ」って意識が芽を出していくんだけど、
やっぱり自分でも厳しいっては思ったな。こんなんでメシ食えのかよって。

今でこそ音楽って自分の表現の一つとしてこうして語ってなんかいるけど、
自分にとっての音楽ってモノに(心の中の領域ね)信念持てるまでは実力も、自信も、何1つ
手探りだったよ。誰にやれって言われてやるもんなんかじゃないしね。みんな周りも音楽に表現意識なんて持ってやってなかったし、自分はそういう意識が芽生えた後は周りのメンバーのやる気のなさに怒ってばっかいた気がする。

自分のバックボーンに「芸術志向」だったのは唯一の強みだった。
表現という自由な発想から、ただの音楽なんかやるもんかって。
入り口が聖飢魔Ⅱだったこともあり音楽とエンターテイメントの繋がりは自然だったし、絶対にヴィジュアル(V系じゃなくてね)は必要だと感じていた。
普通なんて形容が当てはまる訳ねぇだろうって。
そんな観点、思想を捨てずに音楽活動は高校生からずっと続けてきている。
自分の中では明確に活動って呼べるのはもっと後からなんだけど。



友人と始めた1st BAND"Roed-Zak"はなし崩し的に消滅。
VocalがいなかったからGuitar持って歌いだしたのが始まり。
あたり見回してもオレ以上にハイな歌い方できるヤツなんていなかったし。

当時なんてTVに映る素人の様なプロ?他人の歌を聴いても何も伝わるものが感じられなかった。

ただ自分は漠然と感じてたんだ。
ROCKやってんのに「熱くない」のは嫌だなって。
確かにクール(突き放した)に徹した音楽も聴くけど、内包するSPIRITSが感じられるからいいんだし。

とにかくLIVEがやりたいって、ただただ思ってた。
1999年に活動を開始したSOLO PROJECT"Satanism Hel Awake"はそういった自分の音楽への在り方全てを提示することだった。

その中でまた「プロ」って意識が出てくるけど、
自分のやりたいのはLIVEだし、そのためにお客さんがお金払って来てくれてんだし。
何よりも強く思っていたのは、「いい音楽を聴かせなきゃ、いいものを見せなきゃ」って
そういった意識を持ってやるのにメジャーでとかデビューとかって関係ないよなって。

いい音楽を作りたい。それだけが自分の信念となった。


そうして紆余曲折を経て、実質1年以上に渡りSOLO活動を続けながら音楽性がBAND志向へと変化していき、その中で当然いいGuitaristと一緒にやりたいという感情が自分の中に生まれたことから雑誌を見て、都内へとメンバー募集記事を頼りに出て行く。

2000年08月に、そこでめぐり会ったのがDiechan,Tomokiであったと言う訳である。

自分が目当てで探したGuitarのRITSUKIは既にDiechan達と"BERZEBUTH"を始めており、そこにいたサポートメンバーであったVocalのHINOTOがちょうど離脱したばかりで自分に「加入」という形で話が舞い込んだ。
自分としてはSOLOのバックメンバーの募集で彼に会いに行ったのだが、ここまでの募集の人材を見てる中で、自分の理想に当てはまる人材を集めるのにはかなりの時間がかかることも考慮し、BERZEBUTHに参加しながら、SOLO活動も進めていこうと思っていた。

この後、初LIVEも行なうことなくBERZEBUTHは消滅するのだが、リハーサルスタジオにて音を出した瞬間に、RITSUKIというGuitaristの出す音から彼の音楽に対する感情の希薄さまでが読み取れてしまった。彼も割と言葉では説得じみた言い方をするのだが、自分には「ファッションで音出してるな、コイツ」って思ったし、実際何の感動も見出せなかった。
彼の連れのBassのKATOも自分には将来性のあるプレイヤーには見れなかった。

その点、Tomokiは若くも非常に向上心にあふれており、太い誤魔化しのない音と成長味あふれるいい発想を持ったGuitaristというのが強く印象に残っている。そしてDiechanの荒くも迫力に満ちたドラミングは十分なロックビートを叩き出していた。

前者の2人に比べてもこの2人は「BANDなんてただの遊び」的な最初からなめきった態度が(笑)自分には逆に面白かった。それもROCKだなって。雑誌の募集記事を見ても「何がプロ志向だ?」的な部分は自分も思っていたし、鼻で笑っていた。
自分も自己表現として音楽活動はしているが、音楽など所詮「個人的」なものであることに重々気づいているためである。実際に幾ら言葉で大きな夢を語ろうが、スタジオで音を出せばその人物の音楽との関係が理解できてしまう。
RITSUKIが再三「デヴュー」と口にしていたが、自分の中ではこれで?みたいな疑問ばっかりが浮かんでた。

曲もRITSUKIの"NIGHT OF SOUL","GO ANYWAY"とDiechan,Tomokiの"BLACK HUNTER"に、スタジオでTomokiが色んなBANDの曲から拝借したと思われる(笑)リフから"HIGHWAY GANG"が生まれる。
自分も曲出しの中で、LIVEまで時間もなかったことから、過去の自分のマテリアルで良ければ使ってとDEMOを渡す。その中に"MESSIAH"も含まれていたという訳である。
BassのKATOも作曲。"SCREAM2"というハードなナンバーのリフだけを出し、構成を練る段階での作業途中で終了。以降、このBANDでリハに入ることはなかった。

その理由として、TomokiがLIVEの1週間前から連絡が不通に。
その後日談でいろいろあったと聞いているが(笑)ここでそのまま離散し、自分はSOLO活動を継続する準備を整えていく。

2000年8月の僅か1ヶ月程度の活動期間。少しだけ暑い夏だったと記憶している。















予め断りを入れておくが、ここでの文章に書かれている内容・人物等は自分がこの5年余りに及んで活動を続けたBAND "RocketQueen"にまつわるドキュメンタリーである。我が「RocketQueen HISTORY LAST WORKS」とも呼ぶべき、「文章で語るHISTORY」の完結編である。
今まで制作したどのRocketQueen HISTORYよりも真実に近い形で自分は補完したいと考えた。

そして何よりも断っておきたいのが、登場する人物像は自分が見た「視点」であるというコトを承知した上でお読み頂きたい。自分という偏った見解で極力個人を中傷する表現は控えているが、真実を語る部分において表現が受容される側で好ましくないとされるものも存在するかもしれない。それに対しては断固として自分には故意にその意思がないことをここに誓う。
実際にここに登場された人物や知人がこれを閲覧し、書かれた文章により不快感、文句や否定すべき表現が本文にあるのなら、直接私の別サイトにあたる
STRANGE DAYS http://devilevildies.jugem.jp/
の方へご連絡頂きたい。
私本人が誠心誠意をもってその回答を行なうこと、記された内容について自分は一歩たりとも退くつもりはないこと。それを承知で来て頂きたい。

実際にあったこと、起こったこと、自分がその当時心に何を感じ、どう考えていたか。
自分の表現活動の「軌跡」を残す意味で自分の個人的心の歴史を紐解き、こうして執筆してきたつもりだ。
そして書かれている自分の感情、意思というものに嘘・偽りは一切ないとここに誓う。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home