Monday, October 30, 2006

TERMINAL VELOCITY OF THE LIGHT : amazing sunrise

菜の花が香る暖かな陽射しが僕の眼球の奥を照らす。
青い空を見上げては少しため息をつく。
そんな癖を気づきもせずに他人の前でも自然にしていた。

ある日にそんな自分の癖に腹を立てられ殴り倒された。
何度となく投げ出されて地面に這いつくばりながら、殴られた局所の痛みに静かに耐えていた。
この痛みは身体的なものだ。
自分の心は何一つ傷つきやしない。
腹に強い蹴りを食らうと僕は視界が閉じられていくのを感じた。


深い、深い闇の底にうっすらと見える光。
僕はそこへ向かって這いずる様にして向かう。

あの声だった。

いつしか聴いた公園での歌声。
自分の心を奪うかのようなメロディー。
再び瞳を閉じたなら、このまま溶け堕ちてしまいたくなる。

「大丈夫?」

ふと、その言葉に眼を覚ますとそこに僕を覗き込む一人の少女がいた。

「随分殴られたみたい。痛そう...」

起き上がろうとしても体の節々が悲鳴を上げる。


「動かないで。」
少女はそっと手を添えると自分の膝の上に僕の頭を乗せ、出血した唇をポケットから取り出したハンカチで拭き取る。

「君は誰?」

少女は無言のまま切れた唇にハンカチを押しあてたまま静かに僕を見つめていた。
そのまま自分は包まれるような感触に眩暈を覚えて、また気を失ってしまう。


次に目覚めると自分の部屋の中だった。
「夢...か?」
しかし夢でなく切れた唇からまた血が滲み出てくるのを感じた。

またひとつため息をつきながら、寝転ぶと窓から見える月がわずかに雲に隠れて明かりを打ち消されていく。
その黒い月にかかる雲を見つめながら気がつくと、そのまま夜の闇に眠ってしまった。

「あの声をまた聴いてみたい。」

わずかな希望を沿えながら眠りに堕ちた。



朝日に照らされて目覚めると自然に公園に足が向いた。
そこでまたあの少女がベンチに座っていた。
自分が視線を向けると彼女も気づいたようにこちらを見返してきた。

歩き近づいていくと、彼女はこらえ切れないように笑い出した。

「...?」
疑問に思う自分は何をそんなに笑うのかと問うところで彼女は一言発した。

「ホント、随分殴られたのね。」

腫れ上がって浮腫んだ顔を笑われていることに自分はやっと気がついた。

「何で殴られたのかも憶えてないんだ。」

ベンチに腰をかけて彼女に話しかけた。

「前も歌ってたね、ここで。」

驚いたような表情で彼女は僕の顔を見返した。

「あれは歌じゃないの。ただ本を読みながら、時々感じるその時の感情を思い浮かべてるの。
そうすると自然になんか声に、歌声?じゃないけどそうやっちゃうんだ。」

よく手元を眼を向けると本と共にノートに殴り書きしたような文字が見える。

「それは?」

「あぁ、これね。これは詩。自分の感情を詩に書き留めているの。
ただ、とりとめもなくね。」

「見せてもらえる?」

少し恥ずかしげな表情だったが、僕はそこに書かれている字を見てみたかった。

不思議な文字が書かれていた。
自分にはまるで見たことも無い文字の数々。

「これは何て読むのかな?」

「これは私だけの言葉。造語よ。誰にも私のことはわからないの。
これは私だけの世界。自分の存在の理由を探すためにこうした活動をしているのよ。
歌ってるように聴こえた?この言葉をただ呪文のように口づさんでいただけなの。

ごめんね、もう行かなきゃ。」

立ち上がってすぐに駆け出していく彼女の後姿に、名前さえも聞いていないことに気づき、
「名前は?」

数十メートル離れたところで立ち止まり、

「瑠璃。あなたは?」

「恭次。またね。」


そのままベンチにまた座り込むとまた深くため息をついた。
「自分の存在の理由」
そんなもの考えてもみたことが無かった。
自分はただ、生かされているかのような日常に何となく生きているだけなのだと感じた。
しかし、何故か彼女に共感を憶えた。
自分にも感じられる「生」への渇望。
そしてその相反する「死」への憧れ。
醜くも喘ぐ自分のその姿に、呆れながらも自分も答えを探していた。


また明日ここに来よう。

密やかな期待だけが僕の心をわずかに躍らせていた。

Monday, September 25, 2006

TERMINAL VELOCITY OF THE LIGHT : little God

「歓喜」

それは美しき神のきらめき
楽園よりの乙女
私達は感動に酔いしれ、その神々しい楽園に足を踏み入れる。


鮮やかなシリウスの下で二人は抱き合う。
炎のように燃え上がるその愛情の花びらは、時に激しく、そして儚げにも見える。
自らの両手に積み上げられた結晶はただの「灰」。
燃え尽きようとしている僅かな火が、その無慈悲なまでの舌先へと触れる。
有刺鉄線の針金にも似た、若くも激しい気性はその一角の無表情さで他者を近づけようとはしない。

ここは誰もが訪れる「死」への架け橋。
愛さえも夢さえも、ここではただの虚無の供物にすぎない。

天使は翼を捥ぎ取られて、鮮やかなまでの傷口を血に染めていた。
僕の心も同じ。
悲しみに暮れた壊れた心。
癒しさえ見つからない痛みと共に自分は、何時しか訪れる「死」に憧れた。



クスリでラリった少年が屋上から飛び降りた。
死にゆくその姿はまるで天使のように微笑んでいたという。
飛び散った血に、砕けた頭蓋にあふれ出した脳を見つめながら、色褪せていく色彩の情景を思い浮かべていた。
日常は地獄だ。
自分が生きる意味は一体どこにあるというのだろうか。
誰も教えてはくれない。
誰も助けてはくれない。
自分は孤独だ。
悲しみという絶望の中で、底なしに埋もれていく思いに駆られながら、
何処までも、何処までも、堕ちていくのだ。


翌日の朝に、その場所へ多くの花が添えられていた。
彼の友達達だろうか。
花束を添えて涙を浮かべていた。

「泣いてくれる人がいるだけでも幸せだったのかもしれない」



川沿いに向かって、土手から見下ろした空に工場の白い煙が大きな空の中へと流れている。
そんないつもの僕だけの空を見つめる度に、あの空の遥か彼方へといってみたいと思っていた。
その先に一体何があるのか、いつも心に燃え上がる好奇心を抱いていた。


静かな痛みとともに流れる涙の雫を、僕は時々止められない。
人間は泣く。唯一涙を流せる動物だ。
僕は一体何のために泣いているのか、それすらも分からなかった。
自分の中でいつも感じる違和感。
心がズタズタに引き裂かれていく感触。
その痛みと共に分け合う感情の果て。
悲しみというのは永遠に値するものだ。

瞬くような鮮やかな光が僕の瞳の中に溶け落ちていく。

その一瞬のような煌きにわずかな微笑を浮かべていた。
まるでそれは麻薬のように、自分の心を焦がし、陶酔できるその思いの揺らめきをいつしかずっと追いかけていた。
激情のようなスリルを。快楽を。
求めずには要られなかったのだ。


明くる朝、気温は何故かむせ返るように蒸し暑く、ギラギラと焼け付くような陽射しをただ睨みつけていた。
近所の公園から不思議に引き寄せられるように歩いていった。
そこで見た日常的な子供達が遊ぶ風景。
その公園の片隅にわずかに日陰に位置する場所があった。
そのすぐ側にあるベンチに一人の少女が本を見ながら座っている。
しかし、時折思い出したように何か口を動かす素振りを見せる。

疑問に思った自分は近くに歩み寄って行った。

「晴れやかなメロディー」

少女は手に持っていた本からまるで朗読するかのようにその一節を歌ってみせた。
澄み渡るその声がまるで幻覚のように僕の心に溶け込んでいった。
その美しき声色に心奪われていたのだ。

自然に瞳を閉じると僕は夢を見た。
その艶やかに染まる景色を。
まるで「黄昏」のように静かに包み込む、優しさに溢れた刺激は僕の心に癒しを与えてくれた。

しばらくするといつの間にか少女は居なくなっており、自分がまるで浮遊していたかのような思いに囚われた。



日常と非現実を結び、まるで自由に行き来するかのようなこの胸の高鳴り。
何かが始まるような予感を感じながらどこまでも晴れ渡った青い空を見つめ続けた。

Sunday, September 24, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2006 / The last chapter,"The Day The World Went Away"


僕が見た一つの夢の語りはここで一つ話し終える

それは語りながら自分自身の人生の回想録でもあった
「断章」の経歴、真実を求める者への解説
如何なる次元においてもそれは今もなお、強い輝きを誇る

人は生きていく過程で幾つもの他者に出会う
その出会いは後の自身の人生において必ず影響や重ねる時間の重要さを与えている


音楽という素晴らしい芸術思考を磨き上げていく中で
過去がそうであったように、これから先も自分の生きていく人生には、まだ咲かせていない花の種があるということを信じている
そうした「作品」を生み出していくのは時に苦しみも葛藤もあることだろう
しかし現実に待っているのはきっと、発表していく喜び、祝福された感動があることを自分は憶えている




見上げた夜空から既に流星は一閃を描いて
強烈な輝きの軌跡を残していった

舞い落ちた星はそれぞれにいくつかの欠片に解体され、多くの「想い」を散りばめて砕けた
自分もきっとその一欠片だった

だが自身の輝きは未だに燻ぶりながら熱き輝きを失ってはいない

もしもその輝きを地上で見つめる「あなた」が拾い上げたのなら
その手で優しく抱いてほしい

そして、来たるべきその日までそっと心にしまっておいてくれないか



多くの賛辞に見守られ「永眠」の称号でこの時代を僕らは去った
残されたのは地獄なのか
祈るべき最後の時まで有効な手段は持ち合わせていなかったのか

自分達が築き上げた軌跡は何であったかを問うのは未だに時期早々に思える

悔いはない

これだけの祝福を手に入れる活動の途中では
悔いなど残すゆとりもなかった



人は語る。「人生は勝ち目のない戦」だと
しかし、自分だけはその答えを知っている
そして生きて、未だその証明を続けていく旅の最中であるのだ



道に迷い彷徨う者達よ、

お前は逃げるのか

諦めてしまうのか

その限りのない未来を曇らせ、闇に身を堕とすのか


思い出して欲しい。
絶望の危機に、地獄の底でもがいても
見上げ続けたあの遠い空の星の灯を
心を燃やし夢見た景色を、その場所へとただひたすらに歩いて行け


それでもきっと人は死んでいくだろう
夢は途絶えると思い悩むことだろう

だが狂い咲く想いと心、人が生きた証は消えはしない

生きて証明を続けていけ
その誇り高き夢の従人達よ


桜が舞い落ち、「さらば」と告げて特攻し消えては現れ、現れては消えて

犬死せしもの

夢は終らない。終わりなど来ないのだ

どんなに朽ち果てようとも、それでも生き続けて
我々は再び約束の地で出会う


そこでまた落ち合いましょう

必ず。そして、ひとまず「さらば」です
深く澄んだ青き空と満天の星空の下で
別離の挨拶を僕はしました



この世界にあふれる総てのモノに
心から「唄」を捧げます

総てのモノに向けて、僕は唄を唄い続けて行く
心を込めて


愛しています


階段を横切り、空の椅子の上で寝転びながら
私達が分け合う血の中に
愛は育ち生きていく

I believe we're not alone,
I believe my little soul has grown
And here we are.

真実が現実なら、あなたは決して孤独を感じることはない


だから今度はあなたが答えてみて欲しい



「...あなたは孤独ですか?」




さらば、我が愛しき戦友たちよ。
さらば、それに関わる多くの愛しき彼方の者達よ。

さらば、我が青春、誇り高き表現の場所
「RocketQueen」







"RocketQueen HISTORY"
All Written words by,Kazuya

Total Produced & derected by,Kazuya & RocketQueen

RocketQueen HISTORY Photography by,
Connie/Keisuke.Yamashita/Takeshi.Yasumori/Fukui san

[The End Of The RocketQueen]
-Rest In Peace-

and All Friends, Lovers, Rockers, Sinners

5 Years Thanx.

Friday, September 22, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2006 / "Yesterdays, Today and Forever [The End Of The RocketQueen part.2]"


"Providende"はRocketQueenの楽曲の中でも最もバラエティに富んだ曲と言える。そしてBANDの「観客とのレスポンス」を体現しながらも、個人的にはXの「オルガスム」という曲に類似した煽りといえば話が早いだろうか。アレンジで原曲からはだいぶ離れてしまっていたが、メンバーでアレンジすることでこの曲はBANDらしい曲になったし、Tsuyoshi本人も望むところであったと思う。前回に引き続き、中盤はメンバー全員でMC煽りを導入し、LIVEでもハイライトであったろう。

そしてまたここで続くのが、"BLACK HUNTER"である。BANDで最初のオリジナル曲でもあったこの楽曲はDiechanとTomokiによるスピードナンバーであり、初期の名曲でもある。スピードに準じたシンプルかつハードなこの曲で、ステージ上を所狭しとフロント陣が動く。短い曲ながらも最も派手にパフォーマンスしていた曲だろう。この曲でも出だしにTurbo在時期によくやっていたTsuyoshi,YU:ZIによる会場とのレスポンス。会場の声の出のいいことに調子に乗った自分が進行をアドリブに切り替えるが、失敗してもそれがLIVE。笑顔に事欠かない。

中盤は一気にスピードナンバーでゴリ押しであるのだが、本当にこれはトドメであろう。"JUST BRING IT"を演奏。BAND至上最も速い楽曲。煽りも随所に織り交ぜ、とにかく暴れろと言わんばかりに飛ばしまくる。観客の実際違う世界が脳裏によぎっただろうか?凄まじい飛ばしっぷりに自分達もさらにテンションを上げていく。


考えてみるとここまで絶えずスピードと煽りで見せて聴かせる楽曲が続けて演奏してきた。
この凄まじいテンションはもちろん「最後」ということもあったが、それ以上にBANDの気持ちがこの時まさに「一体」となっていたのではないかとも考えられる。
しばしの談話のようなMCを挟んで、最後へ向けて再び走り出す。

"PRIDE"はMAKIがBAND提供した最初の楽曲。アレンジにより最もサビでアピールが成される叫びのコーラスを観客にも歌わせることを目的としたものだ。実際この曲における観客のコーラスは自分達に大きく返ってきたことに深い感慨がある。
「歌ってくれ!」と心から叫び続けた曲であろう。
BANDの華とも言える名曲中の名曲。これに勝るインパクトを持つ楽曲を他のどのBANDも演奏してはいないだろう。この後半でのこの楽曲の位置づけはまさに適材適所であるとも言える。

そのままエンディングからドンドコをかましながらメンバー紹介へ。MAKIはショルキーに持ち替えラストに向けフロントへ出てくる。
初期の定番ラストナンバー"MESSIAH"は元は自分の過去のBANDの曲を歌詞を書き換えて演奏していたものだ。そして作曲者JINはバンドには関与もなかったが、影でこのBANDを心から応援していてくれていた。自分の旧友中の旧友でもある。
BANDの楽曲でのナンバーに変わる"GO AHEAD"に変わるまで演奏され続けた。そして数回であったが、LIVEで怒涛のテンションでしめるべく"MESSIAH"と"GO AHEAD"を立て続けてラストに演奏することがあった。まさにその衝撃の、自分達も限界を超えて演奏をするという「破滅に向かって」の流れである。最高のテンションを維持し続けるこの日であったからこそ可能であったとも言える。実際またやれと今言われたとしても、もう出来ないだろう。
"MESSIAH"はアルバム発売後は久しく演奏されなくなったが、この曲も約1年ぶりに披露される。自分はラストでの各自の演奏したい曲にこの曲を指定した。この時期、もうMETALというジャンルは自分の音楽人生では終わりだと思っていたため、この歌で歌い収めようと考えていた。


そして、遂にラストナンバーである"GO AHEAD"が演奏される。
この曲を演奏している途中、自分はこの曲の歌詞を書いた当時を思い返していた。
BANDがまだまだ方向性に悩んでもいた時期。
自分の心の中では「決別」の思いも含み、新たな「夢」への架け橋とも呼べる内面を綴った歌詞である。

辿り着きたい景色があるから、自分達はここまで歩んできた。
この輝きに満ちたラストシーンに心が熱く、そして震えた。
観客の大合唱も前回の感動を上回る感動だった。
場内を至福に満ちた情景が包む。
胸を張って言える。「最高だ」と。

そしてエンディング。
「これがRocketQueenです。」
ここまでのベストとも呼べる最後にして、最高のパフォーマンスの内容に自らも感謝の言葉と共に口にしていた。



こうして全ての演奏を終えたことにより、最後のパフォーマンスは終了した。

「悔い」はあっただろうか。
例えあったとしてもそれは細かい部分でのことであるし、今となっては気にもならない。

これで果たしてよかったのか?
それはきっと誰にも答えは出ない。
この日に自分達が演奏した全てのパフォーマンスから見た人が判断して欲しい。

自分達はこの最後の瞬間まで最高の光を放ち続け、燃え尽きた。


「最高の時間をありがとう」
リーダーDiechanが別れの言葉として告げ、BANDはステージを去った。


アンコールの声に「アンコールなんざねェよォ!」(笑)と言い放ち、結局演奏はせず終わりにした。
最後までDiechanらしい美学であったのだろう。

彼が牽引してきたこのBANDのあるべき姿のまま終らせる。
それが彼なりの終わりの在り方だったのだ。

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2006 / "Beyond Good and Evil [The End Of The RocketQueen part.1]"


2006.3.11 吉祥寺CRESCEMDO
RocketQueen THE LAST LIVE
"The End Of The RocketQueen" -Rest In Peace-

最終公演。事実上、このBANDの解散LIVEである。BAND内で解散決定してから約半年、遂にその日を迎えた。ここに至るまでは極自然であったと思う。すでに各メンバーの心の中で解散に向けて心構えができていたからである。HP上のラスト1週間のDairyの中でそれぞれがこのBANDに対する最後の思いを語っている。そして、最終公演を成功させ最後の花を咲かせるために全員が一丸となっていた。

SET LISTは中々スムーズに決まってはいなかった。自分が全員に「最後に自分のやりたい曲を演奏しよう」と各メンバーに意見を求めるが、あまりしっかりとした意見は帰ってこなかった。
それならばと、自分が往年の楽曲を織り交ぜてSETを組んだ。それがこの日のSET LISTである。

最後に聖飢魔Ⅱの「嵐の予感」という、今までのカバー曲でも至上最高峰の難易度を誇る楽曲をカバーしRocketQueenというBANDは「実は演奏力もあるんだ」という提示をしたいというメンバーの意見もあり、最終公演で披露されることとなった。そして自分もこの曲でのみ、久しぶりにGuitar/Vocalで参加することとなった。曲調がバラードっぽいことや、Guitarを持って歌うということはフロントに立ち尽くすことになる状況も考慮し、椅子に座って弾く事にしていた。
リハの段階で久々のGuitar演奏にまず機材の整備が大変だった。回路がサビだらけでまともに音すら出ない状態である。何とか当日まで間に合わせて、こぎつけたがこの1曲のために調整が本当に大変であった。

本番前、リハが終るとメンバーと共に吉祥寺の散策へ。おそらくはもう、この町へ久しく来ることもないだろうと思っていたため時間の限りあちこちへ。JAP工房なんてトコまで行ってみたり。このマニアックな店が数多く立ち並ぶ面白い町並みに改めて感心をする。実際食どころも数多くあり、グルメの町でもある。

さて、この日の出演は最後のトリ。夜、大体21時近くの出番。リハの終ったのが14時ぐらい。この間何してりゃいいんだ?ってくらいホント時間を持て余していた。自分は時間の許す限りGuitarの練習。


開演時間も迫り、会場には様々な方々が押し寄せる。
Turboも来ていた。解散が決定した時点で彼には絶対に見に来て欲しいと願っていたし、最後の最後で再び彼に会えたのは嬉しい限りだ。
余談であるが、Shinjiも来場していたとの報告もある。
このBANDを去っていったメンバーからも今もなお、熱く思いを寄せていたことに自分は本当に「誇り」に思えた。



そして満を持して出番が来た。
機材をセッティングしている途中に全て"Rocket"のつく題名の曲を場内に流してみたり、Guitar/YU:ZIの「前説」をしたりと、最終公演でのプレミアに事欠かない。
自分達も何より「楽しみに」していたし、それだけであったのだ。

中期のLIVE(Turbo在時期)でよく使用したSE "ETERNAL MELODY"が会場に響き渡る。
早くも会場から歓声が上がっていた。
SE終了と共に間髪いれず演奏開始。最後もやはりQUEENBEE ROCKETで最初を飾った。
超満員のCRESCENDOに最初からヒートアップする。しかしあくまで冷静に演奏することだけを考えていた。
この日のSETはBAND至上ないほどの長丁場。自分は例え途中で声が出なくなってもそれはそれでとも考えていたが、実際は絶対にかつてないほどのベストの歌をこの会場の皆に届けたかった。
最後の自分達の姿を焼き付けるように見ている観客の中には歴代Guitaristほぼ皆来場していたとのコト。
そして他の数多くのBANDのメンバーも多く押し寄せ、RocketQueenの最後を見送るべく皆で祝福しに来てくれたようだ。そしてどの曲もこの最後の演奏でもあることから、メンバー皆がそれぞれに思い返して感慨深く演奏していたようだ。

続いて演奏されたのは何と"誰がために鐘は鳴る"。この曲は最初期の楽曲であり、YU:ZIが加入後は演奏されていなかった。最終公演ではこの5年間の結集とのことで選ばれ実際最初で最後の演奏となる。
中盤でもLIVEヴァージョンの煽りをいれ会場を盛り上げる。この短くも無駄のないシンプルな楽曲で捻じ伏せる。

そのまま3曲目へ突入。"GLORY EYES"をここで挿入した。自然に前回の大宮でやった曲は外すため、ここで披露となる。サビでは会場に歌を求めたが、しっかりと自分達の所まで声が返ってきていた。非常に胸に染みる思いでもあった。満員の会場からこうしてレスポンスが取れることに感無量になる。

そのまま流れを止めずに課題曲の"嵐の予感"に。YU:ZIの当日スタッフに椅子とマイクスタンドを運んでもらい、手早く準備。その間曲の歌詞をTsuyoshiが語り調で繋ぐのだが、会場からは何故か笑いが(笑)彼のキャラクターが成せる技だろうか。自分は緊張していた。歌いながらもリハでは難なく弾けた進行もぎこちない。ここに来て最初で最後の1発のみの披露曲にガチガチだったようだ。
曲がここまでほとんど止めずに演奏を続けているため自分の鼻をすするヒマさえなく、歌っていて鼻声の自分に気づく。そしてソロではYU:ZIとのツインハモリも何とかキメる。ここで自分は歌いながらGuitarのチューニングのズレに気づく。しかしどうにもならないためそのまま乗り切った。
多少の声のかすれもこの楽曲の切なさに味を添えた。

演奏終了とともにさっさと機材を片付け、"STAND ALONE"が続く。アタマから5曲連続である。この今だかつてない飛ばしっぷりも最後ならではである。しかし、各メンバーも集中していたこともあり大きなミスはここまで全く見受けられない。むしろ至上最高の演奏である。元々、メンバーのテンションが高いLIVEほどその出来は比例して良いのだが、今回もまさにその様子が伺える。

Diechanは最後に自分が演奏したい曲に、この曲を挙げていた。自分でもこの曲こそがRocketQueen至上最もメンバーの個性が発揮された唯一無二の曲だと信じている。この曲は全員がフロントであり、見所・聴き所ともに十分な曲である。この曲がLIVEのやや中盤に位置し、構えているのは極当然のことであると思う。最後の、「夢見続けた輝きの中へ」のフレーズで自分は言葉につまった。何故ならば「今、この時こそが」その輝きの中であったからである。自分の目に映った「最高の輝き」を目の当たりにして心から感動をしていたのだ。


ここで自分から「解散」に向けての挨拶をし、TsuyoshiのMCへと繋ぐ。
彼がどんなに声を張り上げても、終始和やかな空気が流れるのは本当にキャラクターの持ち味であると考えられる。この彼のキャラクターなくして後期RocketQueenは語れない。事実彼により場面の転換となるのは、自分がMCを得意としないし、スタンスとしても話して場面を繋ぐことよりも1曲でも演奏したいし、楽曲の情景を曇らせる言葉は発したくもなかった。
様々な理由からBANDとの折り合いを付けてきたが、TsuyoshiがMCとして前に出ることで事態が丸く収まった感もある。

そしてTsuyoshiのスラップから始まる"PROVIDENCE"からようやく、この日中盤にようやく差し掛かろうとしていた。

Tuesday, September 19, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2006 / "Endless Waltz [Saitama.Great.Final Night]"



2006.2.12 大宮Hearts
この日を迎えるのにどれほどの作業時間を費やし、不眠が続いたか。記憶が抜け落ちている。それほど自分は多忙だった。このライヴLIVEの日の当日、まさに出発前に発注しておいた「詩集」の完成品が奇跡的に自宅に届く。2005年の暮れから事実上制作に入り、5年間でBANDのために書き続けた全歌詞、短編小説、詩を1冊に凝縮。恐ろしいページ数になり、これは完成がいつになるか全く分からないというほど時間がかかっていたものだ。しかし、完成してみると非常に自分でも感無量だったし、心から嬉しかった。0から自分で制作した小冊子だが、もともと「売る」という考えはなく、メンバーやお世話になった方々に配ろうと思っていた。よって極々少数のみの製本だったため、欲しかったのに手に入れられなかった方には申し訳ないことをした。メンバーも皆驚いてくれたり、感動してくれたため本当に出来てよかったと思う。

さて、いわくつきの「Rocket福袋」だが、当日の会場にてようやく内容物が出揃い袋詰めをメンバー全員で行う。とにかく余っていた無料配布のQUEENBEE ROCKETのシングルジャケットの袋にタイトル表記だけで入れられたそのCDの中身というのを紹介しよう。

Disc-01 RocketQueen's Rocks 2001-2003
これはDiechanが最初期の録音音源(当時廃盤のものも含む)を編集。録音順に並べられていることも非常にシンプルかつ懐かしい音源集である。ただ今もなお、おそらくDISC HEAVEN等の店に品があるとされるSTAND ALONE/PRIDEのシングルは収録されていない。ジャケットもDiechan自身が編集。GROUND ZEROの音しか知らない方はかなりショッキングな音だろう。正直自分でも二度と聴けない音源だと思っている。下手すぎて(笑)音源で辿る成長の記録ともいうべきか。

Disc-02 RocketQueen Live! Bootleg vol.Ⅰ
元々はLIVE音源でこのBANDの面白い所を集めて1枚にしよう、というのが最初の話だった。しかし最初のGuitarist.Tomoki,Mune時代のものから、Tomoki・LAST LIVE音源からも収録、TURBOの爆音が鳴り響くハイパーテンションなLIVEの数々や激しいLIVE演奏など、YU:ZIの加入前までの思い入れタップリなLIVE音源だけで、既にCDの要領がギリギリに。初期からのメンバーだからこそ、ここまでの拘りぬいた音源がチョイスできる。それらの内容に一旦はMAKIにケチを付けられ闇に消えかかったが、YU:ZI時代と分ける案でめでたく日の目を見る。アルバムなど音源化されていない未発表曲やLIVEヴァージョンのアレンジの違いなど聴き所は多い。そして自分は全くもって歌えてない(笑)単純に音源からも激しいパフォーマンスが見て取れるようだ。

Disc-03 RocketQueen Live! Bootleg vol.Ⅱ
先のvol.Ⅰに全て収まるはずであった内容とでもいうか、ほぼLIVE前日にDiechanとMAKIとでのやりとりで制作されたもの。LIVEでのTsuyoshi爆笑MCを拾いあげているが、笑えるというよりは「馬鹿なヤツ」とでも言いたそうな編集になっており、自分はまともにこれは聴いたことがない。彼の「天然」な笑いが酷く晒しものになったような気がする。ここまでして聴かせる価値のあるものなのか?自分の編集でないため関係はないが、自分は聴いていて良い印象は持てなかった。演奏曲のチョイスは二人が自分達で聴いても耐えられるものが収録されているようだ。曲名は表記していないがカバー曲や唯一のラジオ出演の音源も入っている。

この目玉となるCD3枚組にグッズとして数多く余った「リストバンド」「ステッカー」「缶バッチ」も全て一袋になり、たったの¥500で限定50SETのみをラスト2回のLIVEで叩き売られる。(もちろん完売)

個人的には最初から内心ではあまり気乗りもしなかったのだが、「最後だから」と何でもありのような思いはメンバー皆思っていたのだと思う。正直、商売汚い感じに決していい印象もないのだが、自分も含めて如何にこの最後の時までを楽しんで出来るかだけを集中していたつもりだ。


埼玉でLIVEは2001年の最初期から最低4~5ヶ月ほどのペースで1回程、北浦和Ayersという、自分のSOLO時代から使用していたハコで行なっていた。そこに静岡の名BAND・REAL-TENSIONと対バンでHARD ROCK NIGHTというイベントに度々出演、共演をしていた。最終公演では、以前より自由にならなかったこちら側の思いと、会場のやり方との主張が噛み合わず最終公演は大宮にあるHeartsというハコを選んだ。もちろんREAL-TENSIONにも最後の共演も申し入れて。
大宮Heartsも自分がSOLO時代に出演したこともあるハコだ。そこそこのプロのLIVEも開催されており、実績もあるところだ。音質の面では非常に良質であり、低音もよく出している。スタッフの対応も丁寧だ。バランスを重視した音作りにアタマが下がる。結果「大宮」では、都心からますます遠ざかるが、普段自分達の友人やその知り合いの方々が優先的に来場できるよう自分からの最後の気配りでもあった。

埼玉という地に記してきたBANDの活動の終結を宣言し、なおかつベストパフォーマンスというべき最高のLIVEであった。この日に組まれたSET LISTは最終の吉祥寺のSETと差をつけている。持ち時間自体が30分余りだったので、非常にバランスを考え抜いた曲順であった。

埼玉での最後の夜。自分としても最高の夜になるように思いを巡らせて歌った。


リハでDiechanが何気なくかけた反町の「POISON」がメンバー間で好評だったため、そのままオープニングSEとして会場でかけられる。何故かリラックスできて硬くならずにすんだ気もする。場内は笑いが包んでいたが、自分達も安心して出て行けた。

QUEENBEE ROCKETで駆け出し、最初っからROCK IT!で絶唱。会場側もよく着いて来てくれている。
すかさず続けたDIE FOR YOUの演奏中にDiechanがスネアのヘッドをぶち抜き(笑)ガタガタになりながらも何とか止めずに完奏。こうしたトラブルは振り返ると日常茶飯事であったことも思い出された。特にDiechanの力いっぱいのドラミングは機材が砕けて当たり前のようにも思える(笑)誰かが冗談で、「絶対DiechanのDrumになりたくないよ」などとぬかしてたが、確かに的を得た意見だ(笑)

MCで早々「解散」を口にする。それは来てくれた方々に胸を張って「お別れ」を自分達は告げに来たからだ。最後の時までしんみりとしたLIVEなんてやる気は微塵もない。当然、全力で走りまくってCRASH OUTしてやろうと、「SPEED人生・勢いだけ」ゴリ押し気分満々である。
瞬間たりとも無駄にしたくない。そんな思いでいっぱいだった。

TsuyoshiのMCからPROVIDENCEを演奏。アルバムではわざわざ中盤のソロタイムのアレンジを行なったが、"最後に弾けていきたい"ということから、当時のアレンジに戻して全員の煽りMCで会場をさらにヒートアップさせる。
中盤ライティングのサポートもあり、観客の笑顔が本当に今も心に焼き付いている。自然にステージの上にも関わらず自分も「笑顔」になった。

唯一のバラードCOCOONを続ける。自らが書き下ろした短編小説の神々しい情景に向かって自分は歌った。一つ一つの言葉が自然に感情とリンクする。そして自分の歌を支えるバックの演奏も素晴らしい。皆が歌と共にある素晴らしい演奏であった。
歌を、詞を、音をその目に映るこの空間を圧倒的な存在として伝えたい。自分はVocalistととして、見る者全てに心に届けと叫びながら歌を伝えた。果たして当日、この歌を聴いていただいた方々はどんな感想を持っただろうか?

ラストに繋げるBANDのポピュラーソング、「君をのせて」を約1年ぶりに演奏。イントロの組曲部分で如何なるGuitaristでも難易度が高く悲鳴を上げているが、YU:ZIもまさにその一人(笑)しかし、さすがは最強のメンバー、ほぼ完璧です。ガチガチに緊張したYU:ZIが見ていても可笑しかった。

「みんなが歌える曲をやろうよ」
そんなDiechanの言葉でこの曲は演奏し始めた。絶対に誰も思いもつかない絶妙のアレンジで。この「みんなが」という観客を常時意識した部分はこのBANDの一番明確なメッセージであると思う。そして重要なキーワードでもあった。どの楽曲もこれらの要素を多分に含んでいることにも気づいて欲しい。そういった意味では、この最初期から歌い繋げたこの曲こそ、BANDのポピュラエティも激しさもエンターテイメントも、そして速さまでも(笑)伝えていたと考えられる。

ラストのブレイクからまたしても初期からやっていたメンバー紹介形式のドンドコ。元ネタはGUNS' N' ROSESの"YOU COULD ME MINE"だったりするのだが、いわゆるリズムパートが音を切らずにMAKIのショルキーの持ち替えの時間つなぎなのだが、両サイドのTsuyoshi,YU:ZIが煽りを入れる。ラストに向けて更なるヒートアップが成されヴォルテージも上がった。。

GO AHEADでは終始最高のパフォーマンス。とにかく全員が会場と一体になって「楽しむ」ということに集中していた。最前から最後尾まで会場を見回して最後の大合唱は誰もが笑顔に包まれていた。
「歌」を通してここまで素晴らしい景色が見れたことに個人的にも嬉しく思う。

「5年間ありがとう!」と、感謝の叫びが響き渡った。
満員の会場に最後のその時まで悔いなく歌えた自分を誇らしく思う。
解散に向かって、メンバーが最高の結束を得たのはまさにこの時であったのが皮肉ではあるが、最高の結束力であったと振り返る。終始、メンバーも最高のパフォーマンスに満足感も高かったようだ。非常に爽やかに、いい表情のメンバーの笑顔が見れた。


そして、この公演からわずか1ヶ月あまりでRocketQueenは最後の日を迎える。

Sunday, September 17, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2006 / "The Vanishing Signs"


年が明けて間もなく吉祥寺で年明け恒例イベント「飲み会セッション」にメンバー全員で参加。
メンバーが年明けて初顔合わせが飲み会。それぞれがそれぞれに好き勝手しまくりな呆れたセッション(笑)MAKIは司会。しゃべりがまた全然やる気なし。野放し状態。DiechanはBass弾いてるし(笑)自分は相変わらずDEAD END。てか全然ダメでした。セッション向きな選曲しないしね(笑)

年末最後のLIVE後からBANDにとって久々に時間が空いた。
大阪LIVEイベントまでリハの時間なんてほとんどナシ。ちょっと油断してた。みんな曲忘れてる(苦笑)...
そしてここで問題勃発。それぞれプライヴェートが多忙なメンバーであるため、各自現地集合なのだがその足の決定に「もめ」に「もめる」。大阪LIVEが日曜日のブッキングのために、自分とDiechanは新幹線でとんぼ返り。MAKIは機材もあるためクルマで行くのだが、Tsuyoshi,YU:ZIと一緒に行くと当初予定していたらしい。だが、TsuyoshiらはMAKIとのコトもあり、彼ら的には当然、夜行バスにて行くことにしていたのだ。しかもよりによってNAKIの目の前でバスのチケットのやり取り。

「ふざけんじゃねェーよ」

本気でぶち切れのMAKIが激怒。Tsuyoshi達も最初の段階で断りを入れてなかったのも確かに悪いのだが、LIVEに明け暮れていて余裕もなく、解散のことでゴタゴタしてたこともあったためにまともな「行き方の情報のやり取り」がされていなかったのだ。リハが終るとブチ切れ、半泣きでMAKIは出て行く。
これにより大阪LIVE敢行が目前で危ぶまれ、最終的にTsuyoshi,YU:ZIがハラを括り、平謝りして何とか事態は収拾。
この時Tsuyoshiってホント恵まれない子だなって心から思ったものだ。
Diechanにも事態の連絡し意見交換。「あと少しだから」と終始呆れている。
その電話内で「オレ来年結婚しちゃうよん」っていきなりの電撃話題も飛び出す。彼の行動力は本当に素晴らしいというか凄まじい。そして羨ましい(笑)

寸前で色々と危ぶまれたが、かくしてRocketQueen大阪公演は強行敢行されることになった。


自分は朝一の新幹線で大阪には昼前に着く。初めての大阪の地。事前に手持ちのMAPで確認しながら、自分が敬意と憧れをもってやまないBANDやアーティストが出演した「難波ROCKETS」へ到着。
他のメンバーに思い入れがあったかは知らないが、自分にとっては本当にはしゃぎたくなるほど嬉しかった。
ステージは高く、広め。何故かほぼド真ん中に支柱が突っ立っている。そして楽屋がまた面白い造りで、割と広めに構えている。しかしイベントでこれだけのBANDが出演となればごった返すのは必死。当たり前だ。この建物は電車の線路のガード下にある店なので楽屋内にも「ガッタンゴットン」列車の通過音が響き渡る。
リハもそこそこに終わり、メンバー全員で難波の町を闊歩。皆でお好み焼き食ったり、自分はぶらり買い物してみたりと、少なく限られた時間ではあったが満喫しようと出来るだけ大阪の町をこの目で見て回りたかった。また是非機会があったら今度は観光で来たい町だと思う。

皆で昼食をしていた時、談義で「余ったBANDのグッズ」などをどう処理しようかという意見がでた。様々な意見が出た中、「福袋」としてみんな抱き合わせで放出しようと決まる。しかもラスト2本のLIVEで計50 SETのみ「限定」で。もちろん「目玉の品」に今まで外部には一切出していなかった「LIVE音源」をここで出すというもの。とにかくレアの中のレアなヤツを。もちろんエアチェックの「鬼」である自分に編集作業が事実上任されることになり、自分の詩集の編集と板ばさみになりながらも、とりあえず次回埼玉ラスト公演に出すと、話し合いの結果決定した。大阪・難波ROCKETS LIVEが2006.1.29、次回の埼玉・大宮Hearts LIVEが2.12であること。その間、たった2週間足らず。自分の詩集が完成のメドも立ってないのに不安だらけだったが制作に取り掛かることにした。


間もなく本番。案の定最初のBANDの演奏から開演が押してる。自分とダイちゃんは即日撤収だったので、出演順をなるべく早めにと考えてもらっていたのだが、実際はド真ん中の時間帯に登場することになっていた。

「これは新幹線最終に間に合うか微妙だよね...」
「終ったら走んなきゃヤバイかもよ...」

一抹の不安に駆られながらも、演奏が始まるとそんなことなど考えもしない。
とにかく自分達のテンションの高さでつっ走りまくる。1曲目からJUST BRING IT。
リハ不足で荒い演奏であったが、終始弾けてパフォーマンス出来たことは自信でもあった。こうした様々なBANDが出演することだし、色んなBANDともっと交流を深めたかったがそんなヒマなど微塵もなかった。東京からもわざわざ来てもらえたお客さんも多数おり、本当に心から「ありがとう」と言わせて頂きたい。とにかく自分達のROCKを、自分達の表現力の限り、全てを以って届けたい。その強い「思い」と、"大阪なめんなよ"と言わんばかりの「気合い」それだけが溢れていた。

実際勢い余って自分はマイクを客席までぶっ飛ばしたり(笑)
ラストのQUEENBEE ROCKETでは意外に聴きに入っていた客達に"気合い"を入れるため、客席まで降りていき絶唱。煽りまくる。
客の目には「さぞかし恐ろしいBAND」に見えたことか。RocketQueenの存在感・音をストレートにアピールをしたつもりだ。


終了後、もちろん大荷物抱えながらもダッシュ。しかも自分は衣装のままで。途中で道に迷いながら冷や冷やしつつも、何とか新幹線乗車。車内で着替えたり(笑)お疲れ乾杯したりと、これまたやりたい放題。
ここでDiechanと本当に久々にゆったりと談話した。話しながら本当に「兄弟」のような親しみも感じたし、「ホント、今まで頑張ってきたよな」なんて活動を思い返しながら、心からお互いを励まし合えた。

音楽が繋げてくれた「出会い」そして「友情」。

自分はこのBANDが選択した「結果」は寂しくもあるが、ここでBANDに対して「悔い」が消えていった様だった。救われた気分になった。Diechanと静かに語り合えたことで。
彼も新BANDの構想を本当に熱を込めて語っていたし、新たな情熱を燃やしていた。
こんないい表現者に出会えたことに自分は何よりも幸せを感じる。

大阪でLIVEが出来た。しかもこんな強行スケジュールにも関わらず。そしてまた一つの「夢」が叶い、また新しい「夢」へと突き進んでいく。
自分が生きて表現を続ける素晴らしさをこれほどまでに実感したことはなかった。




そして帰ればまた編集作業。「詩集」の制作は本当にギリギリまで、その作業に追われた。
「魂」をすり減らし、削る作業だった。
だが、その非常に多忙な中で、次回の埼玉Last Nightで販売する「Rocket福袋」のLIVE音源の編集もせねばならない。LIVE後の約1週間、ほとんど寝ることも許されなかった状況は思い出したくもない。
LIVE前の数日前までで、自分はYU:ZI加入前までのLIVE音源までしか編集が終らず、
「悪いがここまでしか出来ない。3月のLAST LIVEでYU:ZI加入後のLIVE音源を別に出しては?」
と申し出るが、意見は通らず、またしてもMAKIに冷たい言葉の数々を浴びせられ、ここまで温厚に進めてきたが、イライラ度がピークを越えて"切れた"。
「そんならもうやるか。勝手にしやがれ」と自分の編集盤は破棄するとメンバーに伝える。
しかし、リーダーDiechanが取りまとめ、
「3枚組にするからいいよ」と。MAKIとDiechanとでYU:ZI加入後のLIVE音源は制作するいうことで事態は収まった。

一つ何かを進めるにもメンバー全員の意見を交わすことはBANDとして常に大切なことだ。彼女以外のメンバーの誰かが一つの意見を出すと、何かにつけて揚げ足をとるような発言を浴びせたり、「何でもいいよ」など自分に興味のない場合は意見すら出さないこともある。客観的に見ても非常に険悪な様子に自分は映った。最後の最後まで気持ちよく、というには中々コトが運ばないものだ。

「孤立」と「閉鎖感」
寒々とした空気が本人を除いて、他のメンバー全員に吹き荒れていたのだ。




2006.1.30 「解散発表」
その記事を見たとき今まで支えてくれた方々はどのように思ったことだろう。
自分達は解散の決定後もその旨を発表せず、静かにこの時を待っていた。



個人的な意見と見解でこのRocketQueenという偉大なBANDの歴史についてを書き記してきている。ただやはり、「解散」に行き着くまではこれ程のドラマがあったのだと、ここで自らも告白をしている。この連載を読んだ方がどんな意見を持つのかは自由なことだ。だが、そして知っておいて頂きたい。


「この燃え盛る炎を纏い、流星の如く駆け抜けたBAND・RocketQueenという存在の証を」

Saturday, September 16, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2005 / "Crazy and Shout,Violence Rocks.[We 're RocketQueen]"


横浜のLIVE終了後、突然自分宛に電話がかかる。あの天下のNHKからラジオ出演交渉であった。生放送であり、平日の放送であることからDiechanは欠席。メンバー4人でNHK埼玉のBAND紹介コーナー番組に出演し、ぎこちなさもあったが素直なそれぞれの人間性が出せたことは非常に好感であったと思う。アルバムリリースの宣伝目的ではあったが、それ以上にスタッフやサポートの方々の温かい思いが伝わってきたことが個人的にも嬉しかった。


そして週末のリハにおいて、突然リーダーDiechanより報告がある。
年末進行の中、年明け以降のスケジュールの話になり、それぞれが個人の予定を話し出したところで、
Diechanより「オレは来年以降Rocketの活動は続ける気はない」、そして「アルバムで自分の最高のパフォーマンスが出来たことでこのBANDでやりたいことはもう終わってしまった」と。

各メンバーにそれぞれ意見・意向を仰ぐが、YU:ZIもTsuyoshiも自分達もそれならば他にやりたいことも出てきているし、終わりにしたいと。

MAKIは当日新曲も携えて来ていたが、皆がその意見ならばその流れに従うと。


「メンバーのそれぞれの思いの格差に愕然とした」


自分はこの時にもう、このBANDは終わっているんだという実感を得た。
単純に悲しかった。ここに至るまで各メンバー同士で話し合えなかったことに。
自分は正直、RocketQueenはまだまだ先のあるBANDであったと思う。YU:ZIという最強のメンバーを得て、よりRocketQueenというBANDはまだまだ高い階段を上るはずでもあった。YU:ZIをメインソングライターとして実力を発揮したこのBANDの音はまだ作られてはいなかったことも確かに悔いでもある。
それだけが自分には残念に他ならなかった。

かくして「解散」という重き決定がこの日に下された。
ただ、今現在まで入っているスケジュールで来年の「大阪公演」までは今まで通り活動し、その後「解散公演」を行い解散すると。そこまで話し合いで決定され、ラストはこのBANDのホームであった「吉祥寺CRESCENDO」での解散を望むということ。自分からもそれならばと、地元埼玉でのラスト公演も加えて欲しいと伝える。
よって、ここからは解散が決定しながらも最後のその時まで燃焼を続けたBANDの実態を記していく。



後に各メンバーの思いは意外な形でその解散における思いを知らされる。
Diechanは先に述べた自分のBANDに対する燃え尽きが主な原因。
YU:ZIはMAKIとの水面下での性格の不一致。事実、彼女の意見のやり取りに絶えられないといった意見もあったようだ。温厚な彼は表面には出さなかったが秘めた思いは少なからずあったということ。そしてRocketの解散を決めたDiechanより次のBANDは一緒に、という声かけも転機であったらしい。
Tsuyoshiは以前から自分でサイドプロジェクトを進めたいという欲求はもっていた。元々このBANDを形成している各メンバーの「音楽性」はバラバラであり、その混在こそがキーポイントでもあったのだが、特に彼はこのBAND以外の音楽性に強い憧れがあり、思いも寄せていた。解散を一つの切っ掛けとしていたことも事実である。そして彼もMAKIに対する思いはYU:ZIと同等であったということ。
MAKIは解散を決めたメンバーにある意味感情的見切りをつけ、自身のサポートBANDでの活動と変わらず多忙な活動を続けていた。自分が何気なく発した言葉が他者に如何なる影響を与えていたのかを知る由もなく。

自分のMAKIに対する意見は割とフラットである。確かに感情的に吐かれた「暴言」には断固として立ち向かう気もあるが、「女性」であること、また女性ただ一人実力至上主義なこの世界において気を張ってること、生まれが関西でもあり自己主張の元々強い性格であることも認めた上である。ただやはりアルバム制作後とそれ以前とで「BANDに対するあり方」が変わってしまっていることは大きな転機でもあったようだ。BANDを「大きくしなければ」と必要以上に熱くなっていたのも彼女だし、その反面で彼女のそういった方向性がなければもっとアマチュアレベルの活動に甘んじていたかもしれない。彼女が持ち込んだ「音楽の理論性」は実際BANDの支柱でもあったし、BANDの「要」であるのは誰から見ても同じ意見であろう。

結局は「人」である。BANDはやはりここに尽きる。ただ、この場で「誰が悪いから」といった意見は自分は持ち合わせていない。事実、誰も責められない。解散は非常に残念であるが、これらを取りまとめられなかった自分にも悔いはある。だが、今のRocketQueenというBANDを形成しているメンバーが誰一人として欠けても、それはもうこの「解散」という形しかあり得ないと思っていた。だからこそ自分もそれらの意見に、メンバーの意向というものに従った。


2006.10.22 渋谷Tau-kitchen
そして数日後の渋谷でのLIVE。正直あての外れた企画での出演に集客ほぼゼロに近い中での演奏だったが、逆に演奏にこれほど集中したLIVEもないだろう。そしてLIVEハウスのスペースも狭く、立ち位置だけで動けもしなかったが、演奏に賭けるテンションにかつてなく燃えた夜であった。月2本あまりのブッキングに多少間に合わせ的な部分が出てしまったことも反省すべきであろう。

2006.11.06 大塚RED-Zone
以前、池袋Admでブッキングマネージャーだった「ある男」から久々に連絡。その声一つで出演が決まる。事実上年末のLIVEはホーム吉祥寺は埋まっていて出演は無理だということ。よってこの新しいスペースで公演を余儀なくされたのも事実であった。出演してみてこの整備された会場作りと派手な照明とカメラワーク、モニターレベルも決して悪くない。いいハコだ。この日も会場の入りは今ひとつ。広い客席に虚しく、寂しくも演奏された音が響く。
解散の決まった各メンバーの思いはあるが「動員」という部分は厳しいものがあった。正直動員に繋ぐ「やる気」が見れなかったし、「関係ない」といった感もあるようだった。しかし「音楽」は偉大だ。音が鳴り出してしまえばそういった雑念は一切消える。精神的にも「音と向き合う」だけに集中した自分がいた。

2006.11.26 沼袋SANCTUARY
前回出演がちょうど1年前。「最低」の記憶しか持ち合わせていない。今回は"SAMURAI METAL vol.1"の発売記念イベントということでの出演。実際、自分はこのスペースが嫌いである。音楽の自由な発想を最初から断絶した「METALの聖地」という触れ込み。アホか。拘るのは勝手だが、イメージ先行な押し売りは吐き気がする。それと都内で至上最悪なミキサー卓の対応の悪さ。呆れる。横浜のエンジニアを学んでもらいたいぐらいだ。機材設備の悪さもありオープニングS.Eは止まるし、原因不明のトラブルでわざわざ持ち込んだワイヤレスマイクも使用できず散々な感じ。ましてや都心部から外れた立地。感情をむき出しのままステージに立つ自分がいた。当然「怒り」の感情である。
ハイパーヴァイオレンスというべきテンションで二度と出演出来なくて構わないといった暴れ具合で本気で潰しにかかった(笑)観客の怯えた視線が自分には「快楽」に映った。

2006.12.04 大塚RED-Zone
本年度最後のLIVE。飲み放題企画のストリップ付(笑)BULLNET BULLのシリーズLIVEだが、何でもありなその内容に自分達も意欲を持って参加。終始楽しめた内容であった。コンスタントにLIVE活動してきたことにより演奏は安定を誇り、本年度ラストであることもありメンバーのテンションも高い。いいパフォーマンスであったと記憶がある。
セッションでは久々に「火吹き」も行い(笑)激しく、狂った、暴力的な表現でアルバム発売後「聴かせる」に転じていたBANDの見せ方にも変化を投じたといえる。

BANDとして非常に忙しく様々な方向に転がった、まさにRock'n'rollな年であった。自分は、そして自分達はこの2005年という年を誇りに思っているし、他ならぬ「濃い」年であったと振り返る。最高でもあったし、最低の気分にもなった。しかし、こうした結果は結果が全てじゃないと思っている。音楽を愛してそれを表現していく、ただその思いは「純粋」だ。それを表現するために葛藤し、メンバーそれぞれが闘っいるのだ。そしてそれは自分達のまだ今後の「音楽人生」の中ではまだほんの始まりに過ぎないとも考えられる。「解散」という現実にも思いとしては空虚さが残るが、一つの星が燃え尽きてその一瞬の輝きを放つかの様に、解散に向かうほど一瞬たりとも無駄のないように、悔いのないように活動は続けたつもりだ。


余談であるが、この時期あたりから「解散」が決定したことで自分のRocketQueenのHISTORY関連の制作作業が開始される。まず始めに以前より制作予定だった「詩集」の編集・制作。このBANDで書かれ、発表の日の目も見ていない歌詞も含めた歌詞集との二本立て。とにかく時間との戦いであった。
そして録りためた「映像」も多く現存していたことからPC編集によるFILM HISTORYの制作を友人の手を介しスタート。紆余曲折を経て随分と時間ばかりがかかったが、この時期からもう既に動き始めていたのだ。


RocketQueenの残るLIVEはたった3本。

「終わりが見えてなお激しく、暴走METALの本領発揮」
Diechanの言葉だが、まさにその真意であると言えるだろう。