Wednesday, August 16, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2005 / "Album[GROUND ZERO] Recording sessions part.2"


2005年2月より実際の録音に備えてメンバー協議の下、「プリプロ」という手順を踏んだ。
自宅録音による試し録りである。各メンバーがそれぞれに考えている音像を他のメンバーが把握した上での録音。そのメリットは特に楽器陣においてあらかじめ把握することでスムーズな録音を進行させようとする思惑があった。
しかし、全て歌録りまで終えてメンバーに渡ったのは実際の録音が始まった後、あるいは直前である。
MAKIがレコーダーの管理をしていたのだが、自身の録音のフレーズに最後まで振り絞っていたと思われ、そのため自分にその「オケ」が回ってきたのは本録音開始の数日前である。仮とはいえ歌の録音に時間を与えられたのは極わずかであった。こちらは歌詞を完成させ、コーラスのラインを考え、その上で自分でも客観的に聴いてから再度直して録音に望もうとしていたのだが、自分には一切の時間などは与えられることはなかった。こうした過程でなし崩しにスケジュールに追われ録音は進んでしまったことが最終局面で問題になっていく。


録音スタジオは板橋にある「Yellowknife studio」。プロツールという最新の技術を生かしたHDSレコーディングで行われることになった。この技術を生かすことで録音機械自体の作業がスムーズに進み、より録音にかけられる時間が多くなったことは最大の利点でもある。
レコーディングはDiechanから開始。相変わらずのテイクの速さでほぼたった1日で収録曲の全てを録り終えてしまう。
この辺のdiechanの集中力の凄さはやはり格別なものだ。今回は彼のDrum人生集大成でもある最高の、完璧なドラミングを目指して望んだことが何よりも違うところでもあった。そして彼はあまりの完成された自身のテイクに一つの達成感があったとも後で言っている。まさに自信と誇りに満ちたリズムの完成である。

その後の録音はBass/Tsuyoshiの録音にGuitar/YU:ZIのバッキングテイクを重ねる同時進行で行われる。
Guitarはブース内で録り、終始リラックスしていたのは横で見ていても楽しみであった。

多少の難を残しつつも何とかBass録りを終え、Guitar,Keyboardへと次々と音が重ねられていく。
自分のこの時の失敗をここで言うならば、途中に割ってでも歌録りをするべきだった。収録曲数を考えてもそれが妥当だったし、当たり前でもあった。そして何よりも歌声というのは「生」のものである。その日その日のコンディションも違うし、ましてや花粉症という最大の苦難の中で録音しなければならなかったのである。
結果、楽器陣の録りの欲と希望によりオケが完パケするまで歌録りが始まることは無かった。

レコーディングは主に週末の土曜・日曜をかけて毎週行われ、4月の終わりからようやく歌の録音が始まる。
録り始めてやはり花粉症のため鼻声になってしまったことから普段は一切飲まない薬も服用したりと非常に困難の中行われた。そして自分の仕事も週末だけ休むことなど出来ない職柄であり、歌録りの調整が大変だった。
テイクが早いとかは関係なく、自分は録ってから繰り返し聴きこんでそのテイクにジャッジをしたい方だが、そのやり方自体も出来なかったし、許されない状況でもあった。自分がこの時点で感じたのはメンバーの「歌」に対する意識の無さが本当に辛かった。それぞれが自分の役割を終えて途方感でいるのはいいが、ピリピリとした緊張感を持つ自分には腹の虫の居所が悪かった。ジャストなメロ、音程に対しても一フレーズ録るとメンバーに口を出され、表現するしないのレベルでなく「音階に当てはめていく」作業のような録音であった。特にMAKIの音程に対する発言は執拗でもあった。個人的な発言でもっと言うならば「言葉」をもっと選んで頂きたい。彼女の元々の性格なのだし、正直ここで敢えて言うことでも無いが、「感情的・直情的」発言が多すぎる。唯でさえレコーディングという非常に神経質に皆なっている場であるからこそ。
自分も明らかに喉の不調、追い詰められたこの時に、MAKIへこれはBANDのレコーディングであり、「お前のソロアルバムを作っているのではない」と何度声に出してしまおうかと思っては噛み潰していた。ここで露呈するならば、BANDの音楽の理論的支柱はMAKIであり、感覚的・発想的な音楽の取り組み姿勢は紛れも無く自分であり、その部分を互いに認め合えなかったのは最大の亀裂でもあった。時間にして自分も記憶自体が薄れてしまったが、歌そのものの録音にかけた時間などわずかなものだったと思う。

「何でこんなに急がなければならないのだろう?」

確かに実費の費用がかさむのは分かっていたし、他のメンバーにも迷惑であるのは承知だ。だが、かけるべき所に時間をかけないで良いものなど作れない。メンバーにその意識が無かったことが何よりも残念だったし、辛かった。正直そのMAKIとの言い合いから「辞めてしまいたい」自分もいた。それよりも残されたメンバーへの思い、そして辞めていったメンバーの気持ちを汲んでもここで辞める訳にはいかない。自分の中でも非常に葛藤・怒りの念の方が多分に占めたレコーディングだったが、この時点で「次回作こそは」とリヴェンジに炎を燃やす自分もいたのは確かである。

そして、後日談での中で自分も知ったのだが既にこの時点でDiechan,YU:ZI,TsuyoshiもMAKIに対して「確執」を持っていたというのは抗えない事実であった。
レコーディングを通して人間性の奥まで見たような場面でもあった。

「自分の理想のためにその結果だけを強く求める者」
「今出来る時点での実力の限りを尽くた結果に達成感を持つ者」
「とにかくこの場から逃げたかった者」
「やることを終え、自分の一つのピークに燃え尽きた者」
「自分の表現をやり切れずに悔しさだけが残った者」

上記は自分から見た心情と言える。
誰が誰の心情とまでは書かないが。

ここまで築いた「絆」というものが、今まさに壊れていく様であった。
誰も、どうすることも出来ずに。



歌録りの最終日、Diechanが筆頭に声をかけたBAND仲間達を交えて多勢コーラス録音を収録。自分には悔しさしか残らない録音だったが、こうした仲間との触れ合いがまた気持ちを豊かにしてくれた。

最後にアルバム冒頭に収録されるS.E"GROUND ZERO"の音のサンプルの吹き込み作業を終えてアルバム全収録曲の録音を終える。

Mixは大西さんのツテもあり「聖飢魔Ⅱ」のアルバムのMixを担った内田さんにお願いすることが決まっていたため、DiechanのDrum音像なんてまさにライデンの音になったり(笑)バランスのとれた重厚な音像の中、Keyboardがやたらにフューチャーされたような(悪い意味ではなくて)ある意味プログレな印象すらあったが、任せっきりのMixのため本当に細かい部分での直しは一切告げてない。自分の歌に対しては「生々しさ」だけを告げた。それによって歌そのものの「下手さ」を幾ら露呈しようとも、曲げたくは無かった。通常、歌には「リヴァーブ」という残響を呈したエフェクト(効果)を付け加える。しかし同時に「誤魔化す」のも可能であるという位置付けもできる。バックの音像に同化させることでその効果を狙う、それも一つのやり方だし、技術・テクニックだ。しかし、言葉と感情を伝える表現としてのこのBANDの「歌」というものは、まさに「喜怒哀楽」を表現として目指していた自分のスタンスは絶対に「生」の質感だったし、譲れないものであった。正直、この完成Mixに対して自分はあまりいい意見は持てない。
大したやり取りもなく仕上げられたこの時間に追われるだけのレコーディングに自分はこの時点で気持ちは腐り気味でもあった。
マスタリング作業も個人的には出席も出来ず、自分が責任を持って関わったのは「歌」の吹き込みだけであったと記憶する。

ただ、悔しさがあるからこそ次がある。自分はその気持ちだけは一生表現の中で考えていくつもりだし、止めない。


かくして、アルバムジャケットもマリコ女史により素晴らしい(笑)アートワークがなされ、完成されていく。
ここまででやっとアルバムの完成へと至ったといえる。

すぐにその後の6月よりLIVE活動へ入っていくため、リハも開始されLIVEでの新曲のアレンジや構成も含め時間を費やしていく。Tsuyoshiのキャラクターの質の良さをもっとアピールし、MC番長へと叩き出したり、演奏陣の固めどころ決め、挙句には衣装まで話し合われ「BAND」の見せ方もここに来てやっと全体での表現へと変わっていく。

長きに渡るフラストレーションの発散。
自分はまさに悔しさのリヴェンジへ。

帰るべき場所へ。メンバー皆が待ち焦がれていた。

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