Saturday, September 16, 2006

RocketQueen HISTORY(TRUE) 2005 / "Crazy and Shout,Violence Rocks.[We 're RocketQueen]"


横浜のLIVE終了後、突然自分宛に電話がかかる。あの天下のNHKからラジオ出演交渉であった。生放送であり、平日の放送であることからDiechanは欠席。メンバー4人でNHK埼玉のBAND紹介コーナー番組に出演し、ぎこちなさもあったが素直なそれぞれの人間性が出せたことは非常に好感であったと思う。アルバムリリースの宣伝目的ではあったが、それ以上にスタッフやサポートの方々の温かい思いが伝わってきたことが個人的にも嬉しかった。


そして週末のリハにおいて、突然リーダーDiechanより報告がある。
年末進行の中、年明け以降のスケジュールの話になり、それぞれが個人の予定を話し出したところで、
Diechanより「オレは来年以降Rocketの活動は続ける気はない」、そして「アルバムで自分の最高のパフォーマンスが出来たことでこのBANDでやりたいことはもう終わってしまった」と。

各メンバーにそれぞれ意見・意向を仰ぐが、YU:ZIもTsuyoshiも自分達もそれならば他にやりたいことも出てきているし、終わりにしたいと。

MAKIは当日新曲も携えて来ていたが、皆がその意見ならばその流れに従うと。


「メンバーのそれぞれの思いの格差に愕然とした」


自分はこの時にもう、このBANDは終わっているんだという実感を得た。
単純に悲しかった。ここに至るまで各メンバー同士で話し合えなかったことに。
自分は正直、RocketQueenはまだまだ先のあるBANDであったと思う。YU:ZIという最強のメンバーを得て、よりRocketQueenというBANDはまだまだ高い階段を上るはずでもあった。YU:ZIをメインソングライターとして実力を発揮したこのBANDの音はまだ作られてはいなかったことも確かに悔いでもある。
それだけが自分には残念に他ならなかった。

かくして「解散」という重き決定がこの日に下された。
ただ、今現在まで入っているスケジュールで来年の「大阪公演」までは今まで通り活動し、その後「解散公演」を行い解散すると。そこまで話し合いで決定され、ラストはこのBANDのホームであった「吉祥寺CRESCENDO」での解散を望むということ。自分からもそれならばと、地元埼玉でのラスト公演も加えて欲しいと伝える。
よって、ここからは解散が決定しながらも最後のその時まで燃焼を続けたBANDの実態を記していく。



後に各メンバーの思いは意外な形でその解散における思いを知らされる。
Diechanは先に述べた自分のBANDに対する燃え尽きが主な原因。
YU:ZIはMAKIとの水面下での性格の不一致。事実、彼女の意見のやり取りに絶えられないといった意見もあったようだ。温厚な彼は表面には出さなかったが秘めた思いは少なからずあったということ。そしてRocketの解散を決めたDiechanより次のBANDは一緒に、という声かけも転機であったらしい。
Tsuyoshiは以前から自分でサイドプロジェクトを進めたいという欲求はもっていた。元々このBANDを形成している各メンバーの「音楽性」はバラバラであり、その混在こそがキーポイントでもあったのだが、特に彼はこのBAND以外の音楽性に強い憧れがあり、思いも寄せていた。解散を一つの切っ掛けとしていたことも事実である。そして彼もMAKIに対する思いはYU:ZIと同等であったということ。
MAKIは解散を決めたメンバーにある意味感情的見切りをつけ、自身のサポートBANDでの活動と変わらず多忙な活動を続けていた。自分が何気なく発した言葉が他者に如何なる影響を与えていたのかを知る由もなく。

自分のMAKIに対する意見は割とフラットである。確かに感情的に吐かれた「暴言」には断固として立ち向かう気もあるが、「女性」であること、また女性ただ一人実力至上主義なこの世界において気を張ってること、生まれが関西でもあり自己主張の元々強い性格であることも認めた上である。ただやはりアルバム制作後とそれ以前とで「BANDに対するあり方」が変わってしまっていることは大きな転機でもあったようだ。BANDを「大きくしなければ」と必要以上に熱くなっていたのも彼女だし、その反面で彼女のそういった方向性がなければもっとアマチュアレベルの活動に甘んじていたかもしれない。彼女が持ち込んだ「音楽の理論性」は実際BANDの支柱でもあったし、BANDの「要」であるのは誰から見ても同じ意見であろう。

結局は「人」である。BANDはやはりここに尽きる。ただ、この場で「誰が悪いから」といった意見は自分は持ち合わせていない。事実、誰も責められない。解散は非常に残念であるが、これらを取りまとめられなかった自分にも悔いはある。だが、今のRocketQueenというBANDを形成しているメンバーが誰一人として欠けても、それはもうこの「解散」という形しかあり得ないと思っていた。だからこそ自分もそれらの意見に、メンバーの意向というものに従った。


2006.10.22 渋谷Tau-kitchen
そして数日後の渋谷でのLIVE。正直あての外れた企画での出演に集客ほぼゼロに近い中での演奏だったが、逆に演奏にこれほど集中したLIVEもないだろう。そしてLIVEハウスのスペースも狭く、立ち位置だけで動けもしなかったが、演奏に賭けるテンションにかつてなく燃えた夜であった。月2本あまりのブッキングに多少間に合わせ的な部分が出てしまったことも反省すべきであろう。

2006.11.06 大塚RED-Zone
以前、池袋Admでブッキングマネージャーだった「ある男」から久々に連絡。その声一つで出演が決まる。事実上年末のLIVEはホーム吉祥寺は埋まっていて出演は無理だということ。よってこの新しいスペースで公演を余儀なくされたのも事実であった。出演してみてこの整備された会場作りと派手な照明とカメラワーク、モニターレベルも決して悪くない。いいハコだ。この日も会場の入りは今ひとつ。広い客席に虚しく、寂しくも演奏された音が響く。
解散の決まった各メンバーの思いはあるが「動員」という部分は厳しいものがあった。正直動員に繋ぐ「やる気」が見れなかったし、「関係ない」といった感もあるようだった。しかし「音楽」は偉大だ。音が鳴り出してしまえばそういった雑念は一切消える。精神的にも「音と向き合う」だけに集中した自分がいた。

2006.11.26 沼袋SANCTUARY
前回出演がちょうど1年前。「最低」の記憶しか持ち合わせていない。今回は"SAMURAI METAL vol.1"の発売記念イベントということでの出演。実際、自分はこのスペースが嫌いである。音楽の自由な発想を最初から断絶した「METALの聖地」という触れ込み。アホか。拘るのは勝手だが、イメージ先行な押し売りは吐き気がする。それと都内で至上最悪なミキサー卓の対応の悪さ。呆れる。横浜のエンジニアを学んでもらいたいぐらいだ。機材設備の悪さもありオープニングS.Eは止まるし、原因不明のトラブルでわざわざ持ち込んだワイヤレスマイクも使用できず散々な感じ。ましてや都心部から外れた立地。感情をむき出しのままステージに立つ自分がいた。当然「怒り」の感情である。
ハイパーヴァイオレンスというべきテンションで二度と出演出来なくて構わないといった暴れ具合で本気で潰しにかかった(笑)観客の怯えた視線が自分には「快楽」に映った。

2006.12.04 大塚RED-Zone
本年度最後のLIVE。飲み放題企画のストリップ付(笑)BULLNET BULLのシリーズLIVEだが、何でもありなその内容に自分達も意欲を持って参加。終始楽しめた内容であった。コンスタントにLIVE活動してきたことにより演奏は安定を誇り、本年度ラストであることもありメンバーのテンションも高い。いいパフォーマンスであったと記憶がある。
セッションでは久々に「火吹き」も行い(笑)激しく、狂った、暴力的な表現でアルバム発売後「聴かせる」に転じていたBANDの見せ方にも変化を投じたといえる。

BANDとして非常に忙しく様々な方向に転がった、まさにRock'n'rollな年であった。自分は、そして自分達はこの2005年という年を誇りに思っているし、他ならぬ「濃い」年であったと振り返る。最高でもあったし、最低の気分にもなった。しかし、こうした結果は結果が全てじゃないと思っている。音楽を愛してそれを表現していく、ただその思いは「純粋」だ。それを表現するために葛藤し、メンバーそれぞれが闘っいるのだ。そしてそれは自分達のまだ今後の「音楽人生」の中ではまだほんの始まりに過ぎないとも考えられる。「解散」という現実にも思いとしては空虚さが残るが、一つの星が燃え尽きてその一瞬の輝きを放つかの様に、解散に向かうほど一瞬たりとも無駄のないように、悔いのないように活動は続けたつもりだ。


余談であるが、この時期あたりから「解散」が決定したことで自分のRocketQueenのHISTORY関連の制作作業が開始される。まず始めに以前より制作予定だった「詩集」の編集・制作。このBANDで書かれ、発表の日の目も見ていない歌詞も含めた歌詞集との二本立て。とにかく時間との戦いであった。
そして録りためた「映像」も多く現存していたことからPC編集によるFILM HISTORYの制作を友人の手を介しスタート。紆余曲折を経て随分と時間ばかりがかかったが、この時期からもう既に動き始めていたのだ。


RocketQueenの残るLIVEはたった3本。

「終わりが見えてなお激しく、暴走METALの本領発揮」
Diechanの言葉だが、まさにその真意であると言えるだろう。

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